女性の知りたいを提供するゲームコラム『巷説零壱
(こうせつゼロイチ)』第四回目は驚異の学説と
本稿の由来についてお伝えする。
注意書き
当記事はネットにあふれる噂や聞き込みによって作成したものである。
不安に恐れを抱く者、精神に変調をきたしやすい者は閲覧を控えたほうが宜しかろう。
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覚悟がある者のみこの先をご覧いただくようここに明記し、お断りとさせていただく。

黄昏ニ我思フ

歴史的にはほんのひと昔——江戸の頃。夜は暗く夕方ともなれば人の顔も見分けがつかぬ。「誰そ彼(たそがれ/誰ですかあなたは)」。そこから黄昏という言葉ができたという。同様に明け方は「彼は誰時(かはたれどき)」という。SNSも無い時代のこと。世界は茫洋として知れず、広く、不可知なものと実在のものとの境界は今よりも随分あいまいとしていた。無論、世界でもこんな説話がある。
不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与(知らず、私が夢の中で蝶になったのか、自分は蝶で今人になった夢をみているのかわからない)これは有名な中国の思想家荘子の説話『胡蝶の夢』の一部。蝶になってひらりひらりと飛ぶ夢をみた荘子は目覚めてからそんな事を考えた。今こうして考えている自分こそ、蝶が見ている夢なのではないだろうか、と。
また近年ではNature誌に「この現実は存在しない」ことを証明した量子力学の論文が発表され注目を集めた。観測者がいなければこの世界は無い。この世と自分は本当は存在せず…あるいは何者かが見ている夢かもしれない——と。いや『そんなバカな話があるわけない、私は私だ。ここにこうしてちゃあんと、居る』ですって? では貴女は夢を夢だと自覚できやすか? 一昨日の記憶は? 貴女はホントに本物の貴女でしょうか——?
この美しい色は反射によるもの。青い色素は持っていない。
コンピューターゲームは実在するか

有限と無限の幽玄の世界
今やデジタルの時代。0と1で構築された清廉な世界。曖昧なアナログは駆逐されつつある。街から暗がりは消え、道に迷えば地図アプリを見、それでも解らなければググればよかろう。しかし——0と1の間に何もないなどと、誰が決めたのか? 観測するものがまだ現れていないだけでそこに「ある」そのスキマ。本稿『巷説零壱』では未だ見ぬ不思議、デジタルと幽玄の世界への誘いとしてこのように冠させて戴いた。皆々様にはくれぐれも黄昏、逢魔時には十分ご注意をされたし。見えるものが全てではない。


記者 ふがし
元編集者。現在は実家の古書屋にての暇暮らし。
ゲーム三昧、とは是如何に。